神はわれわれに〈苦難〉という

材料を与えてくれた。

その材料で何を組み立てようか?

〈善〉に組み立てようか?

〈悪〉に組み立てようか?

組み立てるのを苦痛にするか、

楽しみにするか?

それは己の心がけ一つしかなし。


神は〈賢者と愚者〉に分けているのではない。

ものの見方をいいかげんにする人と、

真剣に考える人とに分けているだけです。

幸運は待っていてもやっては来ないものです。


この世は常に幸運と不運が交互に流れています。

この世で常に努力している者が幸運を釣り、

手抜きをした無精者だけが不運を釣っています。

何もせず見ているだけでは悪運のみを釣ります。

川の中はこの世のように濁って何も見えません。

なかなか釣れないからと手休めをしたときに

魚がやってきます。

だから、川にたえず竿に餌をつけ垂れておれば、

必ず魚がやってきて釣れることになります。

人生はたえず努力の手を休めてはなりません。


迷信を信ずる者は、

幸運を神かがりに依存しているので

幸運どころか不運のみをつかんでいるのです。

迷信を信じない人は、

幸運や不運に関係なく常に努力して、

その結果が正しいと信じて幸運を掴むのです。


占いや呪いに頼っている者は、

〈地獄の道を選んでいる〉のに気づかないから

〈他の道が正しい〉と、

どんなに教えても無駄であります。

そのような人達は呪い師を〈教主〉と信じています。


危機が訪れたときが最大のチャンスです。

だが、そのチャンスは己の心がけで

〈好チャンス〉と〈悪チャンス〉に分かれます。

他人の〈好チャンス〉をみてすぐ飛びつき

〈悪チャンス〉となる人がいます。


賢者は他人の〈悪チャンス〉でも、

自分の〈好チャンス〉に転嫁する才覚があります。


チャンスがなかなかやって来ない時は

こちらから積極的に行動すればよいのです。

凧揚げは風がなくとも走れば必ず揚るものです。